「ゴッホ展」メモ @上野の森美術館

2019年10月11日~2020年1月13日に上野の森美術館で開催された「ゴッホ展」に行きました。ゴッホの壮絶な人生をざっくりしっかり学べる、充実の展示内容でした。そのときのメモを自分用にまとめます。同展は2020年1月25日~3月29日に兵庫県立美術館で開催される予定です。

 

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フィンセント・ファン・ゴッホ

1853年3月30日~1890年7月29日

 

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アムステルダムで行けなかったゴッホ美術館限定の「花咲くアーモンドの木の枝」ミッフィー!

 

Part 1 ハーグ派に導かれて

 

・1881年、27歳の時に画家を目指すことを決意。

アントン・マウフェ(アントン・モーヴ/Anton Mauve)ハーグ派の中心人物。

・弟テオに頻繁に手紙を送っていた。うち651通は現存している。Wikipediaによると、ゴッホは人から貰った手紙をあまり取っておかなかったらしい。

『ジャガイモを食べる人々』(The Potato Eaters, 1885)友人のラッパルトから酷評を受けて巻き返しを誓う。

・対立の多い人生。

 

Part 2 印象派に学ぶ

 

アルフレッド・シスレー(Alfred Sisley)の『シュレーヌのセーヌ川』(The Seine at Suresnes, 1879)がよかった。

カミーユ・ピサロ(Camille Pissarro)の『ライ麦畑、グラット=コックの丘、ポントワーズ』(Rye Field, Côte des Gratte-Coqs, Pontoise, 1877)がよかった。ピサロさんに美瑛の風景を描いてもらいたい~

・淡い色の点描が印象的なポール・シニャック(Paul Signac)の『レザンドリー、橋』(Les Andelys, The Bridge)を見て、この人のポストカード持ってるかも! と思い、家に帰ってから確認したけど、なかった。ピカソのポストカードもアルバムから無くなっていたので、数か月前によけたと考えられる。よけなくてもよかったのに。

ポール・セザンヌ(Paul Cézanne)の『オワーズ河岸の風景』(Landscape of the Banks of the Oise, 1873-74)安心感がある。

アドルフ・モンティセリ(Adolphe Monticelli)の『陶器壺の花』(Flowers in a Ceramic Vase, 1875-1878)キラッキラでごてごて。輝きを強調するように、館内の照明も強く当てられていた。

 

・1886年まで王立美術アカデミーで学んだあと、同年2月に突然パリに出て、モンマルトルに住む弟テオの家に2年間同居した。着いてすぐに『パリの屋根』(Rooftops in Paris, 1886)の制作にとりかかる。

・『麦畑』(Wheatfield, 1888)がよかった。

・ポール・ゴーギャンとはたった2ヶ月しか同居していない(1888年の秋から冬)。

・1889年には精神病でサン=レミにいた。

 

あぁ、クロード・モネが風景を描くように人物を描かなければ。

Ah, to paint figures like Claude Monet paints landscapes.

1889年5月3日 弟テオへの手紙より(アルルにて)

 

もうずっと糸杉のことで頭がいっぱいだ。ひまわりの絵のように何とかものにしてみたいと思う。これまで誰も、糸杉を僕のように描いたことがないのが驚きだ。その輪郭や比率などはエジプトのオベリスクのように美しい。それに緑色のすばらしさは格別だ。

1889年6月25日 弟テオへの手紙より(サン=レミにて)

 

そうだ、僕は絵に命を賭けた。

そのために半ば正気ではなくなっている。

それも良いだろう。

Ah well, I risk my life for my own work and my reason has half foundered in it - very well -

1890年7月23日 弟テオへの手紙より(オーヴェール=シュル=オワーズにて、亡くなる6日前)

 

・文末の - very well - が、なんだかすごくよかった。

 

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