森鴎外記念館『文学とビール』展&根津神社
礼文島で出会った旅仲間と東京観光する話。
前回は東大に行った話をしました。
名物の「赤門拉麺」と近未来的な「建築」のどちらを話のメインにするか迷って、赤門拉麺を選んだのですが、蓋を開けてみれば建築の方が皆さまにウケた感じがしたので、タイトルもサムネも変えてみました。
東大のある本郷三丁目から湯島や根津は歩いて行ける距離です。
谷根千の概要についてはこちら。
根津神社
「神社に興味があってもなくても、
ㅤ根津神社は行った方がいいと思う」
というわたしのおせっかいにより
寺社仏閣に特別興味があるわけでもないのに
連れてこられた九州男児。
分かってはいたものの、
わたしか友人のどちらかが
うっかり参道の真ん中を歩いてしまい
後ろから知らない人に
「真ん中は神様の通り道だから歩くな!」
と大きな声で注意されました。
その後、その方と話して
どういう人なのかがわかり、
最後は「ハヴ・ア・ナイス・デイ♩」と言われて
お別れしました。びっくりしたー。
ラジオ体操の案内とか見るとほっこりします。
ちなみに、こちらが根津神社の御朱印です。
御初穂料は500円と、他の神社に比べて
やや高めの金額設定。参拝者多いですからね。
根津駅に向かって歩きます。目を引く看板が。
消費者のニーズをバッチリ汲み取っています。
そこからちょっと行ったところにある
やなか珈琲店で一休み。珈琲のいい香り。
ちゃっかりサンプルもゲット。
文京区立森鴎外記念館
根津駅でもうひとりの友人と合流し、
3人で坂を登って千駄木の森鴎外記念館へ。
森鴎外の本名である森林太郎を
「しんりん・たろう」と読み間違えたのは
マジで恥ずかしかった。教養の欠如が露呈。
正しくは「もり・りんたろう」でした!
今回は
「文学とビール-鷗外と味わう麦酒の話」
の展示を見にきました。入館料300円。
常設展も見ごたえたっぷり!
森鴎外は1862年に島根県に生まれ
1922年にこの世を去った
明治・大正期の文豪です。
代表作は『舞姫』『高瀬舟』など。
5歳で論語を学び始め、東大医学部を卒業し
22歳から国のお金でドイツに4年留学。
(ライプツィヒ→ドレスデン→ミュンヘン→ベルリン、各1年)
『舞姫』『うたかたの記』『文づかひ』は
ドイツ三部作と呼ばれます。
小説を書くだけでなく、戦地にも赴いていて、
陸軍軍医総監と陸軍省医務局長を務め、
夏目漱石をはじめとする同時代の作家と交流し
死ぬ年までの5年間、現在の東京国立博物館の
前身である帝室博物館総長を務めたそうです。
波瀾万丈な人生を送った人なんだなぁ
ということがわかりました。
つい数時間前に東大を訪れたこと、
偶然にも繋がった感じがするなぁー。
▼本日2度目の引用
1892年 千駄木に住む
1894年 日清戦争
1904年 日露戦争
1909年 鴎外が文芸雑誌『スバル』創刊
1922年(大正11年) 病気で死去
・生涯で引越し10回
・葬儀には1,300人も来ている
・正岡子規、永井荷風、高村光太郎、夏目漱石、斎藤茂吉、与謝野晶子、北原白秋、石川啄木など、さまざまな文豪、詩人と交流をしていたようで、ハガキが展示されていた。雑誌『スバル』関連かな?
『文学とビール』展では鴎外が
本場ドイツの醸造所やオクトーバーフェストを
訪れていたことがわかりました!
宴会の席で12リットル以上のビールを飲む
ドイツの人々を留学中に見て、鴎外は
「其量驚く可し」
(そのりょうおどろくべし)と記した、
という説明書きを読んで笑っちゃいました。
だって、目の前の人間が500ml
24缶に匹敵する量を飲んでいるんですよ!?
もし鴎外が現代に生きていたら、
きっとツイートしただろうなぁと思います。
ライプチヒ大学で学んでいた明治18年(1885)年6月27日、宴会において12リットル以上もビールを飲む人々な「其量驚く可しそのりょうおどろくべし」と書いています。その時の鴎外は3杯(約1.5リットル)が限界でした。
明治時代1876年 開拓使麦酒醸造所設立サッポロビール
1887年 キリンホールディングス設立
1888年 日本麦酒醸造会社設立
1889年 アサヒビールホールディングス設立
1890年 日本麦酒醸造会社が恵比寿ビール発売
1906年 サッポロ、アサヒ、エビスは大日本麦酒株式会社に統合しているが後に解体されている
1962年 サントリービール発売
展示だけかと思いきや、館内のカフェに
鴎外ゆかりの地・島根のクラフトビールが。
330ml / 800円 / 石見麦酒 / 4.5% / 蜂蜜入り。
フルーティーでスッキリ、サッパリ!
W-IPAやスモークビールとは大違い!
ビールが苦手な人でも飲めそう。
次回、谷根千編、完結。